昭和63年、小学校生活ももうすぐ終わりの時期だった。「ベストプレープロ野球」というゲームが好きだった友達と自転車に乗りながら、秋口から流れ出した「ご容体についてのニュース速報のテロップ」について話していた覚えがある。昭和天皇は63年の秋に大量吐血。それ以来、定期的にご容体がテレビで報告されるようになった。
昭和天皇のご容態ニュース速報(昭和63年10月3日)フルサイズ
※ ビックリマンのアニメ・・・この頃はすでにブームが落ち着いていた気がするけどまだアニメをやっていたとは驚き
「吐血」とか「下血」は聞きなれない言葉だったので何のことかと親に聞いた。天皇について聞いたのもその時だったと思う。
そのようなテロップが日常的に出ること自体が異常事態で、なんとなくXデイが近いのかな?という空気感はあった。テレビ、新聞ではもちろんハッキリとは言わないが、なんとなく昭和がもうすぐ終わるんだな、というのはみんな分かっていた感じだ。小学生だったけど、そういうのは分かってた。そんな空気のまま正月になった。大晦日が終わった後、「なんとか昭和64年にはなったんだな」と思ったものだ。
そして迎えた1月7日。自分は夢の中でそのニュースを知ったのだった。
と、書くとおかしなヤツだと思われるかもしれないが、居間に家族五人で布団を引いて雑魚寝をするような家だったので、誰かが起きてテレビをつけると寝てる人の耳にサブリミナルのように刷り込まれる。そのニュースがどうやら寝ている自分の耳に入ってきて、夢の中でニュースを聞いていたようなのだ。そしてふと目が覚めたら、同じニュースがテレビから流れていて驚いたのである。それで一時期、予知夢を見たと騒いでいたのだけれど、冷静に考えるとそういうメカニズムだと思われる。
ただ、「崩御」という言葉はそれ以前は知らなかったはずで(ほとんどの日本人がこのタイミングで知ったんじゃないかな)、ニュースで飛び交う「崩御」というワードが寝ている耳に入ってきたとして、理解できたのか?という謎は残る。
それはさておき、そこから数日間、テレビはCMなしの特別放送になり、レンタルビデオ店大盛況、というのはご存知の通りかと思う。自分も父親に連れられてレンタルビデオ店に行ったけど、結構借りられているものが多く、何も借りなかった記憶がある。
ちなみに、レンタルビデオもこの頃、急激に普及したような状況で、借りるのも1泊1本300円〜500円で割と高かった。7泊というシステムはまだなかったと思う。
それで、自分はというと、結局ビデオはほとんど借りられていたということもあり、特に見たいものもあるわけではなかったので、何も借りなかった。
で、結局その報道特別番組を見ていたのだが、これが結構面白い。ずっと見ていたのだ。昭和の昔の映像とかが延々と流れたり、皇室の裏話が流れたり、レンタルビデオなんていつでも見れるけど、こういう放送はこの時しか見れないわけで、なんでわざわざレンタルビデオ行くかなーと思ったものだ。
元号の発表も家族全員で見ていた。「昭和」という響きが結構好きだったので名残惜しかった記憶がある。
「平成」と聞いた時は、平の響きから平安時代かよ〜、ピンと来ないなぁと思った。「しっくり来ないなぁ」と親に言ったら、「当たり前だろ、変わったばかりなんだから」と言われた。昭和は64年あったので、物心ついてから改元を意識したのは70代以上の人だったはず。つまり平成改元の時はかなり多くの人が初の改元だったはず。
今回の改元はアラフォー以上なら2度目なので、あの頃との違いが語られる。現に自分もこうやって語っている。
で、なぜ書きたくなったかというと、このときの「自粛ムード」があまりにも大げさに語られるがちなのが気になったから。そもそもそんな重苦しい自粛ムードなら、レンタルビデオに押し寄せないですよね。レンタルビデオ屋は閉めているはずですし。
「俺は知ってるんだぜー」的な先輩風を吹かせたいのか、なにか政治的な思惑があってやっているのか分からないけど、どうも自分の感覚と違うことが書かれているなと思い、気になったわけですよ。
たとえば、これとか。
この記事はあまりにも大袈裟に書きすぎ。「恐ろしい状況」って・・・たった30年前なのにこんなに盛るかなぁ・・・。
一方、これはかなり自分の感覚と近い。
昭和天皇の容態が深刻となったことを受けて、世の中は昭和63年の年末から自粛ムードが続いていました。とはいえ、ずっとしんみりしていたわけではありません。テレビでは1月1日に恒例の『新春かくし芸大会』(フジテレビ)が放送され、堺正章が「大工演奏会」を披露するなど大いに盛り上がります。
自分のイメージに一番近いのがこれ。
上の記事以外、まるで1988年の9月からずっと自粛ムードになっていたみたいな印象を受けるけど、別にそんなことはない。統計上でも明らかなんだけどなぁ。
当然、“自粛ムード”は国民生活に支障をきたし、経済にも多大な影響を及ぼした。
とか書いてますけど、実態はここに。
当時、バブルの絶頂期なので、1988年からの三年間は成長率7.6〜7.7%で推移しています。ちなみにその前の1987年は4.1%なので、経済が停滞した、とかそりゃなにか事件があればスポット的に停滞することはあるでしょうが、通年にするととてもじゃないけど停滞したとは言えないと思うわけです。
(基調と不規則変動)
63年度後半から平成元年度にかけては,いくつかの特殊要因によって,経済指標が不規則変動を示した。一つは,昭和天皇の崩御前後の自粛ムードによる経済活動への影響である。二つ目は63年12月に成立した税制改革の一環として,消費税の導入と物品税等の改廃が4月から実施され,買い急ぎ,買い控えとその反動が生じたことである。
(中略)
しかし,こうした不規則変動をならしてみれば,我が国経済は引き続き,順調に拡大していると判断される。例えば,3~5月の百貨店販売額は前年同期比平均12.8%増であり,同じく生産は平均8.0%増である。
不規則変動として、消費税関連と一緒にまとめられてしまうくらいの影響で、しかもそれもならせば順調に経済成長している、と公文書に書かれているわけで、「経済にも多大な影響を及ぼした」ってほどでもないんじゃないの?という印象を受ける。この文書自体、結構長い文章なのだが、自粛関連への言及はこの箇所しかない。推して知るべし。
吐血の第一報を受けてバラエティが自粛されたのは事実だろうけど、すぐに再開している。CMも自粛されたというが、確かにセフィーロの井上陽水のセリフは無くなった、と当時から話題になっていたが、普通にCMはやっていた。本当の意味で自粛ムードになったと言えるのは崩御から数日間だけなんじゃないかな。
自粛はどう考えても東日本大震災の時の方が凄かった。吐血報道直後は言うほどでもない。なぜなら自分自身が記憶にほとんど残ってないから。そこから半年後の崩御直後ははっきりと覚えているので記憶が飛んでわけじゃない。前述したとおり、その前の時期もテロップが頻繁に流れていたことは覚えている。何か時代が終わるんだな、という雰囲気はヒシヒシと感じたけど、そこまであからさまな自粛ムードじゃなかったですよ?
現に昭和64年のラジオCMがYoutubeにあり、それによると平常運転に近い。
そもそも「とんねるずのみなさんのおかげです」が始まったのが昭和63年の10月。とんねるずが満を持して持ったゴールデン冠番組である。この頃のとんねるずは、得体のしれない、たけし、さんま、タモリとも違う、ドリフ、欽ちゃんとも違う、なにか訳の分からないコンビだった。なんせ、「一気」というヒット曲があったので、吉幾三枠のただの面白い歌手だと思っていた。
果たして、自粛ムードの中でこんな訳の分からないコンビを起用しますかね・・・。この時期のとんねるずなんて不謹慎の塊だったと思うけど。
その「自粛ムード」の中、昭和63年10月27日に仮面ノリダーの「チョコ玉男」が放送されるが、これがクラスで大ブーム。幼き日の伊藤淳史演じるチビノリダーの初登場が11月24日。これもクラスで大いに話題になった。年が明けて1月19日には「恐怖新巻ジャケ男」が放送される。崩御から12日後には既にみなおかが再開されている。
あと、ビートたけしのお笑いウルトラクイズも初回放送は昭和64年の1月2日ですね。
「自粛ムードで笑いも消えた」とはこれ如何に・・・。
その頃は小学6年〜中1になりかけの時期なので、もちろん子供目線から見た社会情勢だけども、東日本大震災で日本を覆ったような自粛ムードとは明らかに違いますよ、というお話。
ってことを誰かが書いておかないとなぁということで、したためました。
※ ちなみに「昭和」は長渕剛の最高傑作だと思います。
- アーティスト: 長渕剛,矢島賢,瀬尾一三,笛吹利明,中西康晴
- 出版社/メーカー: EMIミュージック・ジャパン
- 発売日: 2006/02/08
- メディア: CD
- クリック: 14回
- この商品を含むブログ (10件) を見る