俺の記憶ストレージ Part 1&2

色事を担当する色男

80年代後半から90年代前半の女性ボーカルで棚から一掴み Part2

Part-2です。バンド編後半戦。

あいにきて I・NEED・YOU! / GO-BANG’S (1989)

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僕の中ではスキー場とリンクしている曲です。アルペンのCMソングです。僕にとってのアルペンのCMは広瀬香美じゃなくてGO-BANG’S なのです。スキー学習で行った小樽のONZEでこの曲流れまくってたのが記憶に残ってます。中一の頃は冴えないにも程があったのでこの歌の世界観に憧れてました。GO-BANG’S はこの前のシングル「スペシャル・ボーイフレンド」がCMでちょっとメジャーになり、この曲の大ヒットで一躍有名になりました。このあと「無敵のビーナス」をリリースしますがさほどヒットせず。1990年後半には既に話題にならなくなっていて、世間的には一発屋的な扱いになってしまいました。そのせいもあって、この曲を聴くと、中1の冬がフラッシュバックするのです。

 

Diamonds / PRINCESS PRINCESS (1989)

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この曲のヒットはものすごかった。ちょうど中学生になってすぐの超大ヒット曲ですね。それから25年後に、当時聴きまくっていたこの曲の演奏が実は伊藤広規青山純コンビだったことに驚愕するんですが・・・。それはともかく、プリプリはこの曲で一気にガールズバンドのトップに躍り出ました。プリプリはここから1991年の「KISS」までオリコン連続1位でしたが、そこから途切れてジリジリ人気が落ちていきます。やっぱりバンドブームの終焉は1991年の秋くらいなんですかね。「KISS」もロックというよりはポップなアレンジでバンドサウンドっぽさが少々希薄。好きな曲ではあるんだけど。

ちなみにこのシングルはミリオンでしたが、この次のミリオンが1991年2月、小田和正の「Oh! Yeah! / ラブ・ストーリーは突然に」で(ダブルミリオン)、個人的な感覚から言うと、この曲のヒットをキッカケにハードなバンドサウンドはメジャーなシーンからは徐々に減っていった感があります。そして91年の7月にチャゲアスの「SAY YES」のダブルミリオン。さらにこの年は「愛は勝つ」「どんなときも。」のミリオンもありました。プリプリのミリオン以後は立て続けにポップス系のミリオンが続いてたのですね。

 

M / PRINCESS PRINCESS (1989)

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「Diamonds」のカップリングなのですが、カップリングに関わらず、プリプリの代表曲になってます。これは結構凄いことですよね。「Diamonds」がミリオンだったので必然的にカップリングは聴くんですが、それでもクソ曲だとここまでメジャーにはなりません。看板曲以上の名曲を収録したことで物凄い強力なシングルになったのです。まあ僕はでも歌詞は不思議なんですけどね。未練がましい女だなぁと。男の方がこの歌詞に合ってるんじゃないか(笑)。ちなみに、あみんの「待つわ」も、若干怖い歌詞。

 

 

世界でいちばん熱い夏(平成レコーディング) / PRINCESS PRINCESS (1989)

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で、「Diamonds」の大ヒットの余波を受け、ドサクサに紛れて昔の曲を再アレンジしてリリース。これがまたロクなタイアップもないのに、大ヒットしてしまう(※ただしタイアップ自体はあった模様)。ラジオのオンエアで流れまくってた印象があります。もうなんでも売れるんじゃないかと思うくらいヒットしまくる。まあ良かったですよね。知名度が低い頃に出したシングルだしらアレンジもバンドっぽくないアレンジで納得いってなかったことでしょう。名曲なのに売れないストレスは尋常じゃなかったんだと思います。それをバンドサウンドにアレンジし直して、最高のテイクに仕上がりました。これで、売れないわけないという完璧な曲。プリプリはこれらの三曲が三枚看板なんですよね。ライブ行ったらやってくれないと帰れない曲がこの三曲。たった3ヶ月の間に三枚看板を立て続けにリリースしてしまったんですね。

 

 

P.S. I Love You / PINK SAPPHIRE (1990)

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なんとなくですが、椎名林檎の後の矢井田瞳宇多田ヒカルの後の倉木麻衣aikoの後の大塚愛ジュディマリの後のヒステリック・ブルー、で、時期的にどうしても、プリプリの後のPINK SAPPHIRE、という気がしなくもない。なんかビジネス戦略的に作られたヒットのように感じてしまって、そこまでのめりこんだわけじゃないですが、曲は悪くないですよね。この曲はオリコン2位なんですが、典型的なOne-Hit-Wonderかと思っていたのですが、実は次のシングル「抱きしめたい」も実は5位まで行っていて(知らなかった)、知っているかなと思って曲を聴いてみたらやっぱり知らなかった。たぶん、僕以外も知らないんじゃないかな・・・(と勝手なことを書いてみた)。

 

限界LOVERS / SHOW-YA (1989)

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完全なるジャパメタ。Xの「紅」が1989年の9月で、これが1989年の2月ですね。ここまでゴリゴリのメタルがオリコンチャートの上位に食い込んだのは史上初めてなんじゃないでしょうかね。そもそもそれをシングルカットするというのも凄い。そしてそれが女性オンリーのメタルバンドってのも凄い。昭和シェル石油のCMソングですが、昭和シェルというばマクラーレン・ホンダで、この頃はセナプロの全盛期ですね。

 

私は嵐 / SHOW-YA (1989)

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限界LOVERSよりこっちの方が曲としては好きなんですが、同じく昭和シェル石油のCMソングとなり、チャート順位も同じような感じ。この後のシングルも似たようなチャートアクションだったのですが、CMソングでもないので知名度は今ひとつ。「私は嵐」は良い出来だったので、しばらくは疾走メタル路線で突き進めば良かった気もしますが・・・。この年の年末にXがブレイク。さらに次の年にはTMネットワークがXとガンズに影響を受けて、バンド名をTMNに変えてメタル化、LOUDNESSもマイク・ヴェセーラを入れて夜ヒットに出る(ちょっとスケールが小さいか)、などメタルが最もマジョリティに接近した時期、なのにその直前に失速したのがちょっと勿体無い気がしますね。寺田恵子もこの少し後に脱退してしまうし・・・。もったいない。

SHOW-YAのメタル系のルーツってなんなんでしょうかね。見た目はLAメタルですが音楽的には英国的・・・JUDAS PRIESTあたりなんでしょうか。

 

バンド編はここまで。最後はソロとユニット編。