俺の記憶ストレージ Part 1&2

色事を担当する色男

伝説の炒麺

 あれは1996年の3月頃。

一年間の予備校での浪人生活も終わり、運転免許を取るため、自動車学校に通っていた。そこには、たまたま同じ予備校で知り合った友達も通っていた。その友達は、もう名前すら覚えてないが札幌K高出身で国公立のH大学を目指して一浪して見事に合格していた。彼は音楽が好きでコーネリアスやら小沢健二の話をしていた。渋谷系が好きだったんだろう。

ある日その友達が、時間空いたから昼飯でも食いに行かない?と誘ってくれた。彼に付いて行った店が、自動車学校の前の片側2車線の大きい通りを挟んで向かいにあった中華料理屋Kだった。その中華料理屋Kは、カウンターしかない店で、かなり狭い。空いたスペースに無理やり店舗をねじ込んだような狭小店舗だった。その店は店主のおじさんとその奧さんらしき人と二人で切り盛りしていた。「ここは炒麺(チャーメン)が美味しいんだよ」と友人は言う。「炒麺?」僕は炒麺がなんだかわからなかった。「あんかけ焼きそばのことだよ。」と彼は言う。

 

自分は小学生の頃、あんかけ焼きそばにトラウマがあった。近所のスーパーLに入っていたフードコートに家族で行って、焼きそばを頼んだら、そこで出てきたのがあんかけ焼きそばだった。自分はそれまで、北海道民ならお馴染みのマルちゃんの袋入り焼きそば、つまりソース焼きそばしか知らなかったのだ。ソース焼きそばのつもりで頼んだら、焼きそばの上に謎の野菜がかかっている。「これじゃない!」と、(焼きそばだけに)メン食らって、全く口を付けなかった。やがて月日が経ち、高校生の夏休みのある日、母親がたまたま作ったあんかけ焼きそば、これが結構美味くて、そこでこの料理が好きになったのだった。

 

ただ正直、店舗の雰囲気からして、その辺によくある中華料理屋という感じで、おすすめと言われてもまあとりあえず食べてみようかな程度の気持ちで期待せずに頼んでみた。

 

「五目炒麺ください」と頼み待つこと数分、ようやく運ばれてきた。

「これは・・・美味い!!」

ものすごく美味かった。こんな美味いあんかけ焼きそばは食べたことがないくらい美味かった。そばは軽く焦げ目が付いててパリパリ。あんは醬油味。エビはプリプリ。豚肉もプリプリ。イカもプリプリ。とにかく美味く、感激し、それからというもの、月2回くらいのペースで何度も通った。

 

その店はやはり炒麺が評判だったらしく、ちょうど昼飯時や夜飯時に行くと売り切れてしまうことがしばしばあった。ガッカリしながら別のメニューを頼んでみたが、これまた美味いのだ。特に鶏カシューナッツ定食を頼む頻度が高かった。基本的に何を食べても美味い。それでもやっぱり、連続で炒麺にありつけなかった日は、どうしても食べたくなり、夕方4時に行くとか、混雑時を避けてまで食べに行っていた。

 

一浪して入学したのは小樽の大学だったが、小樽はあんかけ焼きそばが美味いと当時から評判だった。自分があんかけ焼きそばがとにかく好きだということを知った大学の友人に、小樽で一番美味いと連れていってもらった焼きそば屋でも、中華料理屋Kには敵わなかった。どんな店であんかけ焼きそばを食べても絶対にKの方が美味かった。

大学に入学してからも大学の友達を連れていって、バイトで知り合った友達も連れていった。彼女も連れていったし、とにかく食べるものに困ったらその店に通っていた。そういえば何故か父親もその店を知っていたので、実は人気店だったのかもしれない。

 

それから2年くらい、事ある毎にその店に通っていたのだが、ある日、行ってみたら店が無くなっていた。いや同じ場所に中華料理屋はあったが、店名が違うし、覗いてみたら店員も違う人だった。常連だった店が突然消えたのだった。ずっとあると思い込んでたものが忽然と無くなった。僕は焦った。近くに移転したのかと思い、近所を捜索してみたが、電話帳で同じ店名の住所をメモして捜索したりしたが、全然見つからない。時は90年代後半。インターネットが一般層にまで普及してない頃だったので、Yahoo!で検索しても見つからない。グーグルなんてサービスはまだ存在してなかった。途方にくれて、探偵!ナイトスクープに捜索依頼を出してもいいと思ったくらいだった。

 

Kは店じまいをしてしまったのだと半ば諦め、同じような味のあんかけ焼きそばを出してくれる店を探すことしたが、好みの味はあったものの、やはりKの味を超えるところは無かった。

 


やがて時が経ち2017年1月某日。同僚が担々麺の美味いとこ知らないか?と聞いてきたので、たしか発寒か八軒あたりに担々麺の専門店があったなぁとグーグルで調べた。

 

すると、検索結果に中華料理屋Kっぽい名前が出てくる。っぽいというのは、正確に言うと、Kの名前は漢字一文字なのだが、アルファベット表記になっていた。なので、たまたま名前が似てるだけで、あのKでは無いよな、と思いながら食べログの写真を見てみたら、あんかけ焼きそばの見た目があまりにも似ていた。

 

ひょっとするとひょっとするのか?とそのKの名前で色々検索したところ、「10年前は〇〇で、Kという店をやってました」と書いてある文章を発見。「〇〇(四川料理界の大御所)の元で修行してました」とも書いてある。そういえば昔、お客さんとそんな話をしていたような。

「これは9割方あの店に間違いないだろう」と思い、家族で行ってみた。もちろん頼むのは、あんかけ焼きそば「五目炒麺」である。

 

土曜日の昼午後1時くらい。店にお客さんは自分たちを含めて2グループのみ。しかし、出てくるまでそこそこ時間がかかる。ドキドキがそう思わせたのかもしれない。長男が「早く食べたいよ〜」と騒いでいたので実際長かったのかもしれない。そして、運ばれてきた。

 

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激ウマだった。


帰り際、店主の奧さんに思い切って聞いてみた。

「この店って、むかし〇〇にありましたよね?」「そうです、昔は漢字一文字でやってました」

 

「この店ずっと探してました」と思いをぶつけたら、長年の思いが堰を切ったように溢れ出してしまったようだ。あの謎の「閉店事件」についてどうしても聞きたかった。

 

曰く、
昔の店舗は1995年に開店したが、カウンターだけでかなり狭く、さらに自宅から店も遠くて場所が気に入らず、初めから3年だけのつもりで営業していた。そして3年が経ち、予定通り店を閉めた。客としては突然閉店したように見えたけど、予定通りだったようだ。その後は、その3年間があまりに忙しく体調崩したのもあって、別の店(結構な有名店)に勤めてたりしていた。が、10年くらい前にもう一度店を持とうと、今の場所に店を作った、ということみたいだ。

そして、突然店が無くなってしまったことで生まれた、K難民は僕以外にもいたようだ。炒麺が食べたくて、探し回って来た人が僕以外にもいる、ということも教えてくれた。そりゃそうかもしれない。小さいながらも隠れた名店だったから。

 

今年の初詣で引いたおみくじは、生まれて初めての大吉。これが大吉の効果かと実感した年初めとなった。