俺の記憶ストレージ Part 1&2

色事を担当する色男

ドラクエ30周年・・・ドラクエの思い出

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ドラクエ発売から30年。

 

僕は小学生から中学生になるまではゲーム三昧の日々を送ってました。

 

僕が幼稚園から小学校低学年の頃(1981~1983年頃)はまだテレビゲームが普及しておらず、LSIゲームが主流でした。LSIゲームってのは、一般的には筐体にディスプレイとコントローラーがついた一体型のゲーム機で、TRONとかパックマンとか、あと有名なゲーム&ウォッチとか、そのあたりです。TRONパックマンは年上の従兄弟の家にあって、遊びにいったら必ずやらせてもらいました。で、TRONは後々、もらったんじゃないかな。家の中探せばあるような、捨ててしまったような・・・。

 

retropolis.org

 

LSIゲームの中でもゲーム&ウォッチは格別でした。まず小さい。携帯できる。学校が終わってみんなで遊ぶときに必ずゲーム&ウォッチを持ってきた友達がいました。それが羨ましくてですね。クリスマスになったら絶対にゲーム&ウォッチを買ってもらおうと思ってました。ある日、友達に「クリスマス、何貰うの?」と聞かれたので「ゲーム&ウォッチにしようと思ってる」と返したら、「今更?ファミコンにしなよ、絶対ファミコンがいいよ」と言われたのが小学校2年(1984年)の11月頃。

 

ファミコンの発売は1983年の7月ですが、この頃に持っていた人はごくわずかだと思います。たまにコントローラのABボタンが四角いゴム状の筐体を持っている人がいて、こういう人はアーリーアダプターです。クラスに一人か二人くらい。

 

「四角いボタン」ねぇ・・・。時を少し進めて、小学校3年(1985年)くらいの頃のお話になりますが。

 

そのアーリーアダプターで四角いボタンのファミコンを持っている中の一人にMという男がいました。ある日、Mが「うちでファミコンやろうよ」と言うのでMの家に行ったら、Mの母親が玄関で仁王立ちしている。Mの母は「Kくん(←自分)、うちに入る前にまず謝りなさい」と言います。「え?」と言うと、「謝らないと家にあげないからね」と言います。何のことだろうと思いながら「まあいいか」と思い、「ごめんなさい」と言うと、「カセットの入れ方が乱暴だったからファミコン壊れちゃったんだから。もう乱暴にあつかったらダメだよ。」と言うではありませんか。

 

・・・まったく身に覚えがない。たしかに少し前にみんなでファミコンやったけど、カセットの入れ替えとかした記憶がない。身に覚えがないことを言われて戸惑った顔をしている自分を見ていたMはなぜかバツの悪そうな顔をしてました。「あ、Mは自分でファミコンを壊したのに、俺になすりつけたのか」とその時に察したのです。

 

また別の日のこと。自分がMに貸したファミコンのソフトをなかなか返してくれない。もうかれこれ2週間くらい返してくれと言っているのに全然返さない。なので自分は家に押しかけると、Mの母親が玄関先に出てきて「Mはいないよ」と言うので「貸してたカセット返して貰いたいんですけど」と言うと、「じゃあ、中に入って持って行って。」と言うので、Mの部屋に入って自分のカセットを持って帰りました。翌日、学校でMが自分に言うのです。「うちの母さんがKに怒ってたよ。」と。「は?」と言うと「家に上がるときにお邪魔しますを言わなかった、あんな失礼な子は家に入れたくない」という。貸したものを返さない自分の息子の不義理は横に置いて、挨拶がないことに怒ってるということに僕は内心「こわー」と思い、これ以来、Mと関わらないようにしようと思いました。

 

要は、Mはかなり甘やかされていたっぽいのです。だから、ファミコンが発売してすぐに買ってもらってる。子供の嘘を鵜呑みにして他人の子供(自分)に罪を擦り付けたことも疑わないし、謝罪も要求する。なので自分の「四角いボタン」に対するイメージとしては「甘やかされた子供とバカ親」になります。これはしょうがない。四角いボタン見ると嫌な思い出が蘇ります。

 

時を戻します。

 

僕がファミコンを買ってもらったのは1984年の12月。この頃にはかなり普及していました。ロードランナーゼビウスマッピーエキサイトバイクなどキラーコンテンツが揃ってくる頃です。この直前にファミコンのカセットの値上げがあったんですよね。¥3,800から¥4,500。僕がファミコンを買ってもらった時は既に¥4,500で統一されてました。

 

ファミコン銀箱ソフト

 

最初に手に入れたソフトはハドソンのロードランナー。弟は任天堂のサッカー。ここから友達とファミコンの貸し借りが頻繁になされ、市場で発売されているソフトの数もそんなに多くはなかったので、大体のソフトは貸し借りでやったことがありました。「ポパイの英語遊び」でさえ持っている人がいたくらいですから。

 

小4の頃(1986年)もファミコン三昧でした。小4から1ヶ月千円のお小遣いが貰えることになり、僕はたまにファミマガを買ってました。そこに載っていたのが「ドラゴンクエスト」の記事。見た目はハイドライド・スペシャルみたいだけどなにやら画期的ですごく面白そうに見えたのを覚えてます。個人では買うことはなかったのですが、数カ月後に友達に借りてプレイした記憶があります。だから僕が初めてプレイしたドラクエは初代なんですね。

 

実はこの年、世の中はバブル絶頂期ですが、建築会社を経営していた父親の会社は傾き倒産、結局借金の返済のために持ち家を売って築30年くらいの借家に引っ越します。そう、我がファミリーはここから貧乏生活に入ります。松ちゃんの「チキンライス」というクリスマスソングがありますが、とても共感できます。

 

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小5の頃(1987年)、ドラクエⅢというタイトルが発売されるという記事がファミ通ファミマガを賑わします。数年前はたまに買ってもらっていたファミコンのカセットも、借家に引っ越してからは買ってもらえなくなりました。ドラクエⅢ、やりたいけど夢のまた夢だな・・・。今の状況で買ってもらえるワケがない・・・。と脳内で妄想ドラクエをやろうとしていたのか、ファミマガの記事を食い入る様に読んでいるのを自分の姿を見た母親が、「あんた、そのゲーム欲しいの?」と聞いてきます。「まあ、欲しいけど、でもいいや」と言うと「買ってあげてもいいよ」と言うではありませんか。この瞬間が小学校生活でマックスに嬉しかった出来事。

 

今はイオンになってしまいましたが麻生にあるダイエーが家から一番近場のおもちゃ屋がある店だったので、ここでドラクエⅢを買うことにしました。ただ、発売日の1988年2月10日は定休日だったのですね。なので翌2月11日に朝5時くらいから並んで買いました。非常階段でひたすら待ったのを覚えてます。後にも先にもゲーム買うのに並んだのはこの時だけです。

 

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※当時のニュース映像。

 

その日から小学校卒業するまでひたすらドラクエ三昧です。もう本当にドラクエばかりやってました。何度も何度もゾーマを倒して・・レベルカンストまでは流石にしませんでしたが。最近トヨタのCMでドラクエⅢの曲が使われてますね。ラーミアの曲と、エンディングの曲。エンディングの曲は当たり前ですがエンディングまで辿り着かないと聴けないので、この曲聴いてピンと来た人は同世代だと思ってます。で、来る日も来る日もドラクエやってたんですね。

 

その頃、バスケをやっててボールのキャッチに失敗して左手の小指を骨折したことがあります。何週間かギブスして、ギブス外してリハビリに行かなきゃならなくなったけど、リハビリ行ってたらドラクエが進まないのでリハビリをサボりまくっていたら左手の小指が曲がったままくっついてしまいました。なので今でも左手の小指は曲がったままです。だから僕の小指が曲がっているのはドラクエⅢのせいなのです。

 

※ これが数年後、ギターを弾くときの障害になることにこの時は気づいてませんでした。ジャンゴ・ラインハルトやトニー・アイオミだって指に障害があるけど弾いてるじゃん!と励みにしながらギターを弾いてました。

 

で、燃え尽きたんですね。あまりにもドラクエばかりやりすぎた。中学になる頃にはゲーム自体、それほどやらなくなってしまいました。スーファミが出ても買わずじまい。

 

で、今はまたやってます。ドラクエⅢまではリアルタイムでしたが、ドラクエⅣ、ⅤはDS版。Ⅵはスマホ版。Ⅶはやってない(これから)、Ⅷはスマホ版。ⅨはDS。ⅩはWiiで1ヶ月真剣にやりました。子供が小さいときにMMOはできませんね。割り込みが多くて。モンスターズはDQMSLだけ。

 

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 ※持ってる魔王も増えたなぁ

 

ちなみにこんな人もファンみたいです。

 

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達郎氏の歌詞にファンタジー的要素は皆無ですが。

 

 

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