俺の記憶ストレージ (Part 1 & 2)

溢れ出る 色の渦 巻き込む パレード デイドリーム

「すべてはここから始まった」のか?

便利な世の中になったもので、最近大瀧詠一のファンになったとしても、ニコニコ動画とかYouTubeで過去の新春放談が聴けてしまう。いい時代ですね。

 
自分が最近聴いたのは1994年頃の新春放談。面白かったのはビートルズに関しての発言。
 
1994年当時はちょうどアンソロジープロジェクトで世の中が盛り上がっていた頃でした。その数年前からビートルズにどハマりしていた僕もアンソロジープロジェクトには心ときめいていました。まあ、とは言え、当時から全てが全て好きって訳では当然なく、Only A Nothern Songとか何なんだよ、とか思ってたし、’65頃のポールの曲は地味、せっかくの「Free As A Bird」もなんだかイマイチ(友達は好きだと言っていたけど、Real Loveの方が好きだった)だと思っていたし、神格化まではしていなかった。
 
で、その1994年の新春放談ですが、当時、BSで長時間のビートルズ特集番組がやっていたらしく(当時、自宅にBSがなかったから記憶にないですが)そのキャッチコピー「すべてはここから始まった」に、「違う!」と言っていたのが印象的だった。
 
今なら、そりゃ違うよね、と自分も思いますが、当時の自分はどうだったかな、あんまりそう思ってなかったかもなぁ。
 
ちょっと記憶が曖昧なんですが、当時はネットもなかったし、情報源は本しかない。ビートルズは当時から書籍も豊富にあったし、音を聴きながら本を読んでどんどんのめり込んでいっていた時期。そんな自分を見て、ギリギリ戦前生まれだった父が、「ビートルズだけが全てじゃないぞ。」と言ってた。父は1941年生まれなので20歳位の頃は、1961年。ビートルズはまだ世に出ていない頃。父は特に音楽が好きというわけでもなかったみたいだけど、プレスリーとベンチャーズを聴け、と言われた記憶がある。父の車に乗ったらハリー・ベラフォンテのバナナボートとか、美空ひばりが流れてました。まあ、あんまりコダワリはないのかなと思ったけど。その「ビートルズだけが全てじゃないぞ。」に「え?そんなこと言ってる人いないよ。」と反発した記憶がある。
 
でも、どの曲がカバーでどの曲がオリジナルかも完全に分かっていたし、カバー曲はビートルズが影響を受けた人たちだというのも分かっていたので、やっぱり「ここから全てがはじまった」とまでは思っていなかったような。
 
日本戦後史も似たような構図だなぁ、と個人的には思っている。月曜日からTBS系列で「ものづくり日本の奇跡」って特別番組がやっているんだけど、精密機器を作るのに日本人が長けているのは、江戸時代の頃からからくり人形を作ってきたような前史があるからだ、というようなことを言っていたんだけれども、でも世の中的には「戦後から全てが始まった」的なノリがあって、どうもそれは違うよなとフワッと思っている。以前、あるコミックバンド系のタレントが「日本のお笑いは戦後にアメリカから入ってきた」みたいなことを言っていたりして、「落語知らないのかよ」と思ったんだけど、それも「戦後から全てが始まった」的なノリだなぁと。
 
まあ、それはさておき、最近本屋に行くと毎週のようにビートルズ関連本とかムックがリリースされてますね。大体が知ってる話ばかり。ほとんどが2000年以前のレコード・コレクターズを読んでいれば良さげなものばかりで、一体このビートルズ氾濫祭りはなんなんだ?と思います。大体が、結構、というかかなり神格化されたビートルズ像でどうにも気持ちが悪い。
 
ビートルズにハマってから20年も経っていろいろ聴いているうちに、ビートルズは好きなバンドのうちの1つに過ぎない、という状態になっているし、ポール・マッカートニーだって、打率があまり良くないけどたまにとんでもないホームランを打つバッター、という印象。個人的な好みで言うと、打率はエルヴィス・コステロの方が全然上なのだ。「エルヴィス・コステロ 歌の世界」という本で、著者が「コステロは良い曲を書くがポール・マッカートニーほどじゃない」とか書いていたが、いやいや、そんなことないんじゃない?と読みながら思ったものだ。
 
ポールは駄曲も多い、けど、なかなか言えない、ってのはあまり健全じゃない気がするんだけどなぁ。レコード・コレクターズの2002年のポール特集でも、「ポールを褒めるとき擁護口調になるのはなぜなんだろう」と書かれていたけど、ホント、なんでなんでしょうね。