俺の記憶ストレージ Part 1&2

色事を担当する色男

音楽CD→生演奏という流れ

山下達郎の札幌公演を申し込んでいたんだけど見事に落選。うーん残念。

 
今回初めて行ってみようと思ったんだけど、流石にハードル高いですね。余裕で取れたコステロみたく上手くいきませんね。
 
ライジングサンにも来るのでそちらで見ようと思えば見れますが、そもそも自分はあまりライジングサンが好きじゃない。なんか、焼肉やらBBQやりながらって雰囲気に冷めるというか、この人たち真剣に音楽聴きたい人たちなのかな?と思い出すと、なんかのめり込めないというか。数年前に二年連続で行ったてた時期があるけど、似た系統のバンドが多かったのも気になるし、メジャーバンドを出来るだけ呼ばないみたいなスタンスもなんかアレだし、会場までやたら待つし遠いし、花粉飛んでるし、ファンでもないバンドを場所取りのために前に陣取ってるヤツがいたりと、それならソロコンサートでじっくり聴きたい!と思うのです。
 
そのソロコンサートが取れなかったというわけで、夏まで何をモチベーションにすれば良いのか・・・。
 
ソロコンサートでも、6年くらい前に行った氷室京介のライブは客が最悪で、どういうわけかオイオイコール(オイパンクじゃないんだけど・・・)で、みんなリズム感悪くて数小節進むとバラバラになって仕切りなおして再度オイオイコール(やるならせめて合わせてくれよ・・・)、しかも近くにいた男が大声で音程外しながら氷室と一緒に歌っていて(お前の歌を聴きに来たんじゃないんだよ・・・)、MCの時に「俺は氷室の歌を聴きに来たんだけどな!」と聴こえるように言ったら少し静かになったけど、静かになったのはどうやらバラードだったからみたいで、アップテンポな曲になるとまたもや大声で音程外しながら歌い出す始末。これなら家でライブ盤聴いたほうがマシだな・・・と思ったこともあったりしたけども。
 
今朝のワイドナショーで、音楽CDは売れてないがライブチケットは売れている、という話があって、今回取れなかったのはまさにそれなのかな?と思いつつ、いや、山下達郎はそもそも取れにくいのかなとも思いつつ。
 
でも、よく考えたら、音楽CD→生演奏という流れは歴史的には逆行しているんじゃないかと思ったりします。逆行というか、原点回帰というか。
 
イギリスには、BBCという国営放送局がありますが、60年代にポップスのレコードが普及した際も、BBCラジオでレコードをそのまま放送することが規制されている時間帯があったようです。なぜかというと、ミュージシャンの労働組合がレコードを流すことに反対していたから。レコードは生演奏を生業としていたミュージシャンの仕事を奪うメディアだったわけですね。そのおかげでビートルズを始めとした数多のミュージシャンの『BBCセッションズ』的なお宝音源が出てくるので、一概に悪いとは言えないのですが。
 
 
その規制に対抗して出てきた策が脱法ラジオ局というべき、Radio Londonを始めとした海賊ラジオ局で、法が及ばない海上から船で電波を発信していたそうな。この海賊ラジオ局が国の取り締まりを受けて消滅するのですが、そのトリビュートとして発売されたのが The Who の『The Who Sell Out』で、途中にラジオのジングル風の曲が入ったり、なかなか楽しい盤です。
 
 
それはともかく、昔は音楽は生演奏でしか聴くことが出来なかったけど、アナログレコードの登場により手軽になり、レコードの販売が商売になることが分かり、ミュージシャンはみんなレコードを作って発売したという経緯があるわけですね。メディアはやがてアナログレコードからコンパクトディスクになり、それがデジタルミュージックフォーマットのまま配信される、と。その商売がいろいろな要因により尻すぼみになり、生演奏を聴くことに戻っていくと。
 
よく、「CDなんてものは認めない、レコードが一番」とか「デジタル配信なんてダメ、CDが最高」とか言いますけど(僕は割と後者で、理由はジャケットとライナーノーツが欲しいから)、元は生演奏で、いつでもどこでも聴けるわけじゃなかったと思えば、贅沢なことを言っているなとも思うわけです。
 
で、山下達郎さんはライブDVDも出してないので、参加するしかないわけですね。でも今回は参加できない。会場に入るのに身分証明がいるので、転売も出来ない仕様なのにそれでもソールドアウト。僕はこの先、山下達郎さんのライブを見ることが出来るのでしょうか。