俺の記憶ストレージ (Part 1 & 2)

溢れ出る 色の渦 巻き込む パレード デイドリーム

吉幾三一人演歌史説

演歌の起源はいつなのか?演歌の歴史はそれほど古くなく、最古の演歌は、まだ明治政府が民主主義ではなく藩閥政治だった頃に起こった自由民権運動で行われていた集会で、弾圧の厳しかった演説の代わりに歌ったのが始まりだそうな。つまり「演説歌」の省略形で「演歌」だそうな。

 
 
当時の政治体制は大政奉還されたものの、それは徳川から新政府に変わっただけで民主主義ではなかったので、民主主義を啓蒙する運動で歌われていたので、要するにそれはプロテストソングだった。
 
その頃の演歌の代表曲に「オッペケペー節」というのがあり、これは自分でも名前くらいは聴いたことがあった。YouTubeにその頃の音源がある(素晴らしい!)。
 
 
浪曲のような導入部から始まったと思ったら、早口で台詞をまくし立てる。内容は「貴女に紳士のいでたちで、うはべの飾りは好いけれど、政治の思想が欠乏だ、天地の真理が分らない、心に自由の種を蒔け、オツペケペオツペケペツポーペツポーポー」という歌詞のようだ。
 
歌詞の内容は別として、曲構成はほぼラップに近い。哀愁系コーラス+ラップという構成の1990年代後半のヒップホップに似た構成とも言える。現代の情愛・悲哀をマイナーメロディに載せて歌う演歌とは全く異なるジャンルであり、むしろヒップホップの源流がここにあったんじゃないかとも思ったりする。なので、昭和から現代までの演歌を本来別の名前にすべきだったんじゃないかと思うが、とにかくこれが当時の演歌だったそうだ。
 
この曲を聴いて思い出したのが、吉幾三である。僕が吉幾三を始めて見たのは1984年、小2の頃だ。
 
「テレビもねぇ、ラジオもねぇ、車もそれほど走ってねぇ」と早口でまくし立てるいかにも田舎者のおじさんがテレビから流れてきた。吉幾三という駄洒落のような名前とインパクト抜群の「俺ら東京さ行ぐだ」はかなり衝撃だった。
 
 
よく聴くとこの曲もラップである。
 
Run D.M.C.がファーストアルバムを出したのが1984年でほぼ同時期であり、こんな時期にラップをやってた日本人は吉幾三だけだったんじゃないか?(※ すみません、その辺かなり疎いのでテキトーに書いてます)
 
そのRun D.M.Cは、1986年にエアロスミスと「Walk This Way」をコラボして、大ヒットするが、なぜか吉幾三はその直前に「雪國」という自作のド演歌を大ヒットさせる。これはファミコンソフトの「カラオケスタジオ」に入るくらいの大ヒット曲で、子供でさえもみんな知っていた曲だ。あれ?吉幾三ってコミックソング歌ってた人だよね?と思ってたのに、歌番組でふざけることなく歌ってた吉幾三を見て驚いたのである。
 
ここで僕は何かに気付いた。
 
俺ら東京さ行ぐだ」は、直接的ではないにしろ、中央偏重社会を揶揄した風刺ソングではある。つまり若干プロテストソング、それにラップを載せた。ってことは自由民権運動の頃の元祖「演歌」に非常に近い。
 
その2年後に吉幾三は、現代版の「演歌」である「雪國」を発表する。つまり吉幾三は「演歌とは何なのか」をバブル前夜の日本人に提示するために、自ら演歌史となろうとしてたのではないかと思うわけです。
 
つまり、吉幾三=一人演歌史という説であるわけです。
 
おしまい
 
ボーナストラック:
最近の吉幾三が堂々と「俺ら東京さ行ぐだ」を歌っててカッチョいい。