俺の記憶ストレージ Part 1&2

色事を担当する色男

TMN リニューアル事件

いつか書こうと思っていたTMNリニューアル事件について、今日は書いてみよう。

 

「ヘドバン」という音楽誌が創刊された時、X の Vanishing Vision 再検証という特集があり、特に X に思い入れがあるわけじゃないが、この特集は心にひっかかっていた。Xの曲自体はメタルの王道に僕には聴こえる。具体的に彼らが参照していたのはおそらくハロウィンなどの元祖メロスピ系だろう(昔はジャーマンメタルと呼んでいた、僕にはジャーマンメタルと言ったほうがしっくり来る)。だけど、どういうわけかメタル雑誌で X の特集をやらないのは何故なんだろう?というのが長年の疑問だった。結局、この特集は雑誌自体が結構高め(と言っても ¥1300 程度だけど)なので、まだ読んでいないのだが、最近出た「ヘドバン」はついつい買ってしまった。

 
小室哲哉にV2のことを聞く」、しかもインタビュアーが吉田豪だったら、そりゃ買いますよね。
 
と言っても僕自身は V2 の曲はリアルタイムでは興味を持てず(X に興味がなかった)、曲を聴いたのも最近である。感想は TOSHI のパートを小室哲哉が歌っているなあ、という感じだった。「Digitalian」での小室のボーカルはさほど違和感なく聴けるけど、V2 はちょっと厳しいかな?という印象。僕は V2 よりも TMNリニューアルの話の方に興味があった。
 
で、いつか書こうと思っていたTMNリニューアルの思い出話を良いキッカケなので書こうと思う。
 
1990年の春に僕は念願のCDプレイヤー付きのダブルラジカセを購入し(貯めたお年玉で買った5万くらいのビクター製)、始めて本格的に好きになったバンド(ユニット?)が TM Network である。というかシティハンターの影響で Get Wild がずっと好きだったので、最初に買うアルバムは「Gift For Fanks」だと決めていた。当時、TMは活動を休止していて夏頃にマクセルのカセットテープのタイアップ曲がリリースされた。これが「The Point Of Lover’s Night」で、それまでの TM と比べるとミドルテンポのヘヴィな曲調だった。やがて TM NetworkTMN にリニューアルすると宣言した。
 
これは当時結構ショックな出来事で、TM Network という名前が好きだったのもあるし、音楽性がキーボード主体のものから、ヘヴィなギター主体になって、当時そういう免疫が無かったので、ものすごい衝撃だった。ちなみにリニューアルという言葉自体、当時の日本ではそれほど定着して無かったような気がする。この後辺りから普通に使い出したんじゃないかな?
 
そして TMN に変わってからの第一弾シングルが「Time To Count Down」である。これは衝撃だった。ギター主体でやだなぁ~と思っていた当時の気持ちを一瞬で払拭した(ちなみにこの曲でギターを弾いているのはオジー・オズボーンとかナイト・レンジャーで弾いていたブラッド・ギルスである)。
 
「なんだ、かっこいいじゃん!」
 
同じくTMファンだった友達のお母さんはこの曲のツーバス連打を聴いて、「最先端だね」と言ったらしい。ツーバス連打は1971年に Deep Purple が Fireball で演っていたので最先端でもなんでもないのだが、つまりそれまでのTMからは想像も出来ない曲だったことは確かだ。
 
 
 
これから数年後に僕は BURRN を購読し始め(と言っても、2、3年くらいで買わなくなったが)、HR/HMをメインで聴くようになった。今思えば最初のメタル体験は TMN だったのである。
 
ある時、友達にガンズの日本公演の時のVHSを借りて見ていたら、観客席にTMのメンバー3人が写っていて、おお!となったことがある。なので僕も TMN へのリニューアルはガンズが影響していると思っていたのだが、どうやら今回のインタビューによるとYOSHIKIの影響が大きいとのことだ。
 
そういえば当時、ベストテンほっかいどうを聴いていたら「Time To Count Down」の曲紹介の前に、「こういうクラシカルな演奏の後にドッカーンとヘヴィなサウンドで始まるというのは、Xの影響を受けたんでしょうかね?」とか言っていたのだが、まさにそうだったわけだ。
 
で、リニューアルの話に戻ると、シングルの後にアルバム「Rhythm Red」が出て、前半はハードロック主体で一部ダンスナンバー、後半はアコースティックバラード主体って構成で、当時はやっぱり戸惑ったものの、今では TM で最も好きなアルバムである。だけど、おそらく当時は否定の声の方が大きかったのだろう。アルバムリリース後にシングル・カットされたのは「Rhythm Red Beat Black」というダンスナンバーで、従来のファンを懐柔しようとしたのではないだろうか。ちなみに当時 B’z もよくやっていた手法で既発曲を英語詞でリメイクして再リリースってのがあるが、「Rhythm Red Beat Black」の英語バージョンもリリースされた。これのカップリングが当時まだ無名だった電気グルーヴが「Rhythm Red Beat Black」をリメイクしたバージョンである。実はこっちの電気グルーヴバージョンの方が好みでよく聴いていた。
 
次の年になり、カメリアダイアモンドのCMソングに「We Love The Earth」が使われ、この曲調が完全に1990年以前のTMの曲調に戻り、その後にリリースされた「Love Train」は保守的で微妙な出来で、秋にリリースされた EXPO は既にリニューアルは無かったかのようにハードロック路線は(1曲だけあったけど)無かったことになってしまった。この頃には BOOWY に夢中だったのと、EXPO への違和感から TMN に興味がなくなってしまった。
 
今考えると、「Rhythm Red」は確かに驚きはしたけど、TM Network は徐々に音楽性を変えてきたユニットだった。初期はテクノポップニューロマンティックのような雰囲気だったのが、Gollira ではファンクロック路線へ(ちなみに「You Can Dance」はエルトン・ジョンだな)、humansystem はブリティッシュ・ロック、Carol ではコンセプトアルバムになり、プログレっぽい構成にも聴こえる。ここからハードロックに以降したわけで、ヴァニラ・ファッジみたいなアートロックを演っていた第一期ディープ・パープルが、ボーカルを替えて Speed King で大爆発したり、渋めで地味なブルース・ロックをやっていたホワイトスネイクが、80年代後半にハイテクギタリストを従えてリニューアルしたのと、大差ないのかなーとも思ってしまった。
 
個人的にTM関連で一番衝撃だったのは、最近聴いたスピードウェイの「夢まで翔んで」のアレンジである。セクシャルバイオレットNo,1で聴ける、例の「ポコポーン」シンセドラムのアレンジのダサさ加減。小室さんの名誉のために言っておくと、これは小室哲哉加入前の曲なので、小室さんは関係ない。けど衝撃のダサさ。
 
「夢まで翔んで」は見つからなかったので、川内康範から依頼されて作ったこの曲を貼っておきます(これはさほど悪くない)